今回はレッチリのヴォーカル、アンソニー・キーディスの生き様を解説
生い立ち
アンソニーは1962年11月1日、アメリカ、ミシガン州のグランド・ラピッズに生まれます。
父は俳優のジョン・マイケル・キーディスで、アンソニーが3歳の時に両親が離婚しています。
普段はグランド・ラピッズの母親と一緒に暮らしていましたが、たまに父のジョンの住むハリウッドにも遊びに行ったりしていました。
アンソニーは父親をめちゃめちゃ尊敬しており、父のもとへ行くのはとても楽しかったと語っています。
1974年、アンソニーが14歳になった時アンソニーはハリウッドへ移住します。
父のジョンは俳優でありながらドラッグの売人で、更にドラッグをしていたことから、その影響でアンソニーもマリファナやコカインをしています。
若い息子に薬をさせる父のジョン、ぶっ飛んでます笑
その後、アンソニーは高校へ進学、そこでその後のレッチリのベーシスト、フリーと出会います。
ロサンゼルスでは転校生でよそ者だったアンソニーと、同じくオーストラリア出身で、訛りを馬鹿にされたりしていたフリーは意気投合し、2人は親友になります。
その後は、アンソニーとフリーはバンドのギターをしていた、ハイレル・スロヴァクと出会い、ハイレルの音楽センスが2人に影響を与えています。その後、アンソニーとフリーはハイレルとバンドを組んだりしています。
このときから3人は、一緒にLSD、コカイン、スピードなどの麻薬をする仲になり、更に絆が深まります。
アンソニーはドラッグを使いながらも学校での成績はAグレードを取っており、かなり成績がよかったそうです。
その後、アンソニーは大学進学のためにバンドを辞めます。
1980年8月、アンソニーは高校卒業後にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学しライティングを学びます。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校は世界大学ランキング 2019で、世界17位にランクインしてます。
ちなみに日本はが東京大学が42位です。
アンソニー頭良すぎでしょ!?しかも麻薬やってんでしょ!?彼のポテンシャルすごすぎます。
レッチリ結成
その後は1983年、アンソニーと、フリー、ハイレルはパンクとファンクの融合したバンドに影響を受けて、レッチリ初期のドラマー、ジャック・アイアンズを招き入れ初期のバンドを結成します。
その後、バンド名をRed Hot Chili Peppersに改名し、ナイトクラブやバーで演奏していました。
この時にチンコソックスのパフォーマンスをアンソニーが開発したと語っています。笑
その後は、デモテープをレコーディングし、EMIとメジャー契約が成立。
しかし、ハイレルとジャックは他にバンドを掛け持ちしていたことから脱退し、代わりのメンバーが加わります。
その後、1984年にデビュー・アルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』をリリース。
1985年にはハイレルが帰ってきて、『フリーキー・スタイリー』をリリース。
しかし、この頃よりメンバーみんなのヘロイン中毒がひどくなり、メンバー同士ギクシャクした関係になってしまいます。
その後、アンソニーは薬物依存が深刻で、バンドへのモチベーションが下がったことからバンドを解雇されてしまいます。
アンソニーは、母のいる実家に帰り、薬物依存から立ち直るためリハビリを開始します。
その時アンソニーは11歳からやっていたドラッグを初めてやめ、冷静になった彼はモチベーションを取り戻し”Fight Like a Brave”の歌詞を書き上げます。
ロサンゼルスに戻った彼は、ドラッグをやめて、もう一度バンドに復帰します。
しかし、すぐにまたドラッグに手を出してしまします。
そんな中、1988年にハイレルがヘロイン中毒で亡くなります。
アンソニーは現実を受け入れられず、彼の葬儀にも出席せずにドラッグを続けるのですが、
友達にハイレルの墓に連れて行かされ、ドラッグの闇から抜けだしてキレイにならなければと決心します。
その後、フリーとともにハイレルの意志をついで音楽を作り続けると決意を固めます。
レッチリ再起動
その後は1989年に新メンバー、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。
このアルバムの裏ジャケットの絵は、ハイレルが生前に描いたものらしいです。
1991年にはレーベルを移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリースします。
このアルバムが全世界レベルの超ブレイク作品になりました。
このアルバムに入っている「Under The Bridge」が、初の全米1位を獲得し、
その後はアルバム、『カリフォルニケイション』「バイ・ザ・ウェイ』などをリリースしグラミー賞をいくつも取っています。
2006年 – アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。このアルバムの「Dani California」は映画デスノートの主題歌になってますよね!
ハイレルが死んでから本気になったフリーとアンソニー!あんたらすごい!
2009年にはギターのジョンがやめて、2011年 には 新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し今に至ります。
今ではほとんどの人が知っているバンドですが、昔から苦労してるんですよね。
彼らの歴史を見ながら曲を聞くともっと気持ちが入りますよね。
ところで、その間のアンソニーというと、1994年から薬物依存が再発していて、アルバムの発売が遅れたりと、かなり薬物依存症に悩まされていたようです。
今でも依存症とは向き合って生きてるんだと思います。
女性関係はというとかなり豪快で、2007年に当時の恋人でモデルのヘザー・クリスティとの間に息子ができています。
しかし、彼女とは結婚せずに、56歳になった今でも独身です。
アンソニーはかなりのモテ男で、しょっちゅうパパラッチに美女とデートしているところをとられまくってます。
彼いわく一時は100人以上もセフレがいたらしいです、絶倫ですよね笑
「可愛い子見ると、つい欲しくなっちゃうんだ」「まだ女の子については理解できてなくて、不思議な存在なんだよ、もしいい人がいたら結婚かな、まぁいなかったら宇宙が、俺を一人にさせたんだって事実をうけいれるよ」と女性について語っています。
アンソニーぐらいかっこよければ、結婚せずとも女性が寄ってくるんでしょうか?
女性も遊ばれてもいいかも?とか思うんですかねぇ?男性陣からするとモテモテで羨ましいかぎりですよね笑
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