カーペンターズ、カレンの拒食症との戦いの生涯

音楽

こんにちは!

最近は少し尖った人物が多かったので、今回は癒やしの美声の女性ヴォーカル、カーペンターズのカレン・カーペンターを取りあげたいと思います。

カーペンターズといえば「クロース・トゥ・ユー」や「イエスタデイ・ワンス・モア」などの名曲を沢山作ってますよね!

彼女の声は最高に美しくて、ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカトニーも絶賛しています。

いつ聞いても癒やされるし、歌詞もすごい切なくて、なんか泣きそうになりますよね。

みなさんもカーペンターズを、一度聞くと昔の切ない出来事とか、嬉しい思い出を思い出しませんか?

さて、この素晴らしい声を持つ彼女、晩年は拒食症に悩まされて若くしてこの世を去っています。

いったいなにが彼女を苦しめたのでしょうか?

今回は彼女の生涯を見ながら、拒食症と彼女の戦い、そしてカレン・カーペンターという人物について紹介していきたいと思います。

ポイント①

1950年3月2日、カレン・カーペンターはアメリカ、コネチカット州、ニューヘイブンに産まれます。

1963年、彼女が13歳の頃に家族とともにロサンゼルス郊外の街ダウニーに引っ越します。

この頃3歳年上の、ピアノが上手い兄リチャードが近所のコンサートでピアノを弾いていて、この時カレンは兄に進められて歌を歌ったのが、初のカーペンター兄弟のコンサートだと言われています。

1964年14歳になり、1学年早く高校に入った彼女は、兄の影響からか高校のバンド部に入ります。

その後、ドラムに興味をもつようになった彼女は、練習に没頭し、すぐにドラムの腕を上げていきます。

更にヴォーカルのトレーニングもしたかった彼女は、ヴォーカルトレーニングに行った時トレーナーから、「あなたに教えることはなにもない」と言われたそうで、当時から天賦の才能があったようです。

ポイント②カーペンターズ結成

当時、カレンはスリーピースのガールズバンドを組んでおり、兄のリチャードをバンドに誘います。

その後すぐにバンドは解散し、1965年に兄リチャードの大学の同級生のベーシストと一緒にThe Richard Carpenter Trioを結成し、ジャズバーなどで演奏していました。

彼らはすぐに有名になりテレビに出て、レコーディング会社と契約を結びます。

この時、まだカレンは歌っておらずドラムに専念していましたが、有名なスタジオミュージシャンのJoe Osbornとのセッションの際に歌声を披露、皆が彼女の歌声にびびったという逸話があります。

1967年、当時のベーシストが大学の勉強に専念するために脱退し、その後カーペンター兄弟は「Spectrum」というグループを結成、その頃から彼女はドラムとヴォーカルを兼任するようになります。

その後、スペクトラムは解散、カレンはドラムを叩きながらでは観客にカレンの姿が見にくいということで、ヴォーカルに専念し兄のリチャードと活動を始めます。

1969年、カレンとリチャードはカーペンターズとしてデビューします。

1970年台には「Close to You」がビルボード・Hot 100で4週連続1位を記録しカーペンターズは世界的なポップデュオとして有名になります。

その後は数々の名曲を送り出し、何度もグラミー賞を受賞しています。

ポイント③拒食症

そんな輝かしいシンガーの経歴と同時に、彼女に暗い闇を落とす、拒食症との戦いも過酷になっていきます。

もともと子供の大好きで明るかったカレンですが、昔から少しぽっちゃりだと自分の体型にコンプレックスを持っていました。

ある日、兄のリチャードに「私太ってる?」と聞いたカレンは、リチャードが何気なく「ちょっとな」と言ったのがきっかけで、ダイエットに励むようになります。

カレンは高校の時からダイエットを始め、主にスティルマンダイエットという、高タンパク、低脂質。低糖質のダイエットを行い、一日に低脂肪の食べ物と水を8杯だけ飲むことでダイエットに成功します。

その後は、カーペンターズとしてメディアに出るたびに、更に彼女は自身が太っていると思い込んでいきます。

ダイエットを始める前の彼女は身長163センチ、66kgで、カーペンターズデビュー後の1975年には41kgまで落ちています。

その後、誰も彼女が太っていると思わないのに彼女は自身が太っていると思い込み、消化促進剤を飲んだりと、無理なダイエットを続け更に体重が落ちていきます。

その頃には、栄養失調からかコンサートで意識を失い倒れこみ、コンサートが中断したりしています。

兄のリチャードと家族は当時のカレンをどうやって止めたらいいかわからなかったと語っています。

その後、1980年に、カレンは実業家のトム・バリスと結婚。しかし、彼はパイプカットをしていて、子供を欲しがらなかったことと、短気な性格で彼女に当たっていたことから、カレンは彼に怯えており、結婚からから1年ちょっとでカレンは家を出ます。その後は離婚協議などでもめていたそうです。

精神的不安からかカレンの拒食症は更にひどくなり、食べ物を口にすることすらできなくなります。

その後、彼女は実家に引き取られ治療に専念します、治療により少しづつ病状が回復するも、

1983年2月4日、その日離婚調停書にサインするつもりでいたカレンは、朝、目覚めてすぐそのままベッドに倒れ込み、病院に運ばれたものの急性心不全で亡くなります。

カレンは長引く拒食症との闘病生活で心臓に負担がかかっていたと言われており、亡くなった時の体重は30kg台まで落ちていたと言われています。

天性の声をもつ彼女の死は多くの人々を悲しませ、同時に世界に衝撃を与えました。

彼女の歌はマドンナを始めたくさんのミュージシャンに影響を与えており、ポール・マッカートニーは「世界一の女性の歌声」とたたえています。

彼女の死後、カーペンターズはハリウッドの、the Hollywood Walk of Fameに名前が刻まれています。

感想

いかがでしたでしょうか?

カレンは幼い頃より、よく食べて活発な明るい少女で、性格もすごく謙虚で優しかったそうです。

周りの期待に答えようとダイエットをがんばった結果、心が制御不能になってしまった彼女の人生は、とても悲しくて切ないです。

ところで、日本は公のメディアは、容姿の良し悪しをネタにしたり、まだまだ容姿至上主義で世界的には遅れていると思います。欧米では、容姿についてからかうことは基本的にタブーですからね。

人はみんな、強い心や弱い心を多種多様にもっていることを理解して、みんなが自信を持って楽しくイキイキと生活できる日本になればいいですね!

今回はカーペンターズのカレン・カーペンターでした!

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