クイーン、フレディマーキュリーの生涯

音楽

こんにちは!

今回はみんな大好きQUEENのヴォーカル、フレディ・マーキュリーをいってみたいと思います!

皆さんボヘミアン・ラプソディは見ましたか??ラストシーンは圧巻で、感動しますよね。

特にフレディがHIVだとわかってからの、ボヘミアンラプソディー歌うシーンでじ〜んときました!

皆さんはどう感じましたか?

フレディについては、すでにご存知の方が多いと思いますが、今回はボヘミアン・ラプソディでは紹介されなかったフレディの恋愛事情や、生い立ち、成功までの道のり、そして亡くなるまでをざっくりご紹介したいと思います!

見終わった後、映画ボヘミアン・ラプソディを見て、更に理解できて感動できる動画になればと思っています!

ポイント①

1946年9月5日、フレディ・マーキュリーは当時イギリスの保護下にあったタンザニア、ザンジバル島に産まれます。

父と母は、イギリス統治下のインド出身で、世界最古の一神教と呼ばれるゾロアスター教徒で、

フレディの父はイギリスの植民地政府の会計係としてザンジバル島に移り住んでおり、フレディには妹、カシミラがいます。

フレディは産まれたときから過剰歯で、これが彼のボイスレンジに関係していたようです。

その後、フレディはインドの親戚の家で幼少期を過ごし、7歳の時に、ピアノのレッスンをうけ、8歳になった彼は学校でバンドを組んで、ピアノやヴォーカルをしていました。

1963年17歳の時、ザンジバルの家族のもとに戻ってきたフレディですが、翌年のザンジバル革命により治安が悪化、フレディと家族はイギリスへと逃れます。

イギリスへと逃れたフレディはロンドン西部の学校に入り芸術を学びます。

その後はアートの専門学校で芸術とグラフィックデザインの勉強をし、1969年。23歳の時に学校を卒業しています。

卒業までに彼はいくつかのバンドにはいって音楽活動したり、ロンドン、ケンジントンマーケットの古着屋で古着を販売したり、ヒースロー空港で荷物係のバイトもしていました。

当時の友達は、この時のフレディは音楽は好きだけど、シャイで静かな青年だったと語っています。

その後11970年4月、24歳の時にその後のクイーンのギターのブライアン・メイとロジャー・テイラーと出会い、リードシンガーとして彼らのバンドSMILEに加入します。

その後、ベーシスト、ジョン・ディーコンを迎え入れ、フレディはバンド名をQUEENに変えます。同時に名字もマーキュリーに変更しています。

ポイント②

QUEENのヴォーカルとなった彼は、その後の恋人メアリー・オースティンの働く「ビバ」という洋服店でメアリーに声をかけ、彼女と交際を始めます。

4年後の1973年、フレディは彼女のメアリーにプロポーズをします。この時のプロポーズは大きい箱にすこし小さい箱が入った、マトリョーシカ人形的なプロポーズで、最後に婚約指輪が出てくるというサプライズ全開のプロポーズだったそうです。

1973年7月、QUEENはイギリスでデビューアルバム『戦慄の王女』をリリース。最初はレッド・ツェッペリンや、ディープ・パープルのマネだと酷評されるも、1974年には3rdアルバムの『シアー・ハート・アタック』のシングル「キラー・クイーン」が全英チャート2位になり、一躍有名ロックバンドとなります。

この名前を聞くと、ジョジョ4部の吉良吉影を思い出すのは僕だけでしょうか?

1975年には、4枚目のアルバム『オペラ座の夜』のシングル「ボヘミアン・ラプソディ」が全英チャート9週連続1位の大ヒットを記録します。

その後は日本、アメリカ、オーストラリアでツアーを行い、5枚目、6枚目と順調にアルバムを制作し、

6枚目のアルバム『世界に捧ぐ』は、当時流行りのパンクを意識したサウンドを取り入れ、we will rock you, we are the champion が全世界で大ヒットし、クイーンを知らない人はいないレベルにまで有名になります。

1976年、メアリーと婚約していたフレディですが、当時の彼はコカインパーティーや、乱交パーティーに行くようになっており、それにうすうすきづいていたメアリーは結婚について尋ねるも、彼は結婚について乗り気でなくなってしまいます。

しばらくしてから彼は自身ががバイセクシャルだということをメアリーに告白、その後二人は破局しますがメアリーとフレディは友人関係となります。

フレディーはメアリーと別れてからも彼女に部屋を買い与え、彼が亡くなった後の財産も彼女に譲ると話しています。なんか複雑な関係ですよね。でもフレディは間違いなく彼女が人間として好きだったんじゃないかと思います。

当時のフレディは有名になりすぎていて、彼のもとに集まってくる人間はお金目当ての人間ばかりだったのか、後にフレディは「僕には友達がおらず、メアリーだけが唯一の友達だ」と語っています。

その後1980年台に入り、オーストリアの女優と付き合っていたと言われていますが、フレディは彼女をただの友達といっており、その間はレストラン経営者とデートしていたようです。

ポイント③

1984年、その後生涯を共にする伴侶、男性のジム・ハットンと交際を始めます。

1986年にはフレディがHIVに感染していることがわかり、そして1991年11月24日、フレディはHIV感染の合併症により、45歳という若さで亡くなっています。

交際相手のジム・ハットンはフレディが亡くなるまでの7年間、彼を必死に支え続け、ジム自身もHIVに感染しています。しかし彼は決してフレディにそのことは言わず、2010年にジムは亡くなっています。

フレディとジムは本当に愛し合っていたんでしょうね。フレディとジムとメアリーの複雑な恋愛模様はボヘミアン・ラプソディーを見て感じてみてくださいね!

クイーンは現在まで、世界中のアルバム、シングルなどの累計売り上げが、1億7000万枚といわれており、クイーンの「グレイテスト・ヒッツ」は、イギリス史上最も売れたアルバムと言われています。

感想

いかがでしたでしょうか?

映画の中のフレディは、とっても美しい声と才能を持つわがままな印象で自分の思ったことは譲らない頑固なバンドのリーダー的存在でした。しかしそのわがままな部分も本物の曲を作るのに欠かせない彼の音楽に対する才能だったんだと思います。

そのカリスマ性と歌声は人々を魅了し、今でも聞くだけであっクイーンだ!ってなるのは、彼の大きな功績じゃないかと思います。

私生活はとても複雑ですが、彼の彼自身に嘘をつかずに堂々と生きる姿は多くのトランスジェンダーの方々に勇気を与えたんじゃないかと思います。

当時はまだゲイやバイセクシャルについて今ほど理解されていなかったと思うので、そんな世界に変化を与えたフレディは歌にしろ生き様にしろ偉大ですよね。

今回はクイーンのヴォーカル、フレディー・マーキュリーでした!

素材引用:

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