こんにちは。
今回はリクエストがあったので、パンクロックで社会に抵抗した、セックスピストルズのヴォーカル、ジョン・ライドンをご紹介いたします!
セックス・ピストルズは、クイーンと同じ頃に活躍したロンドンのパンクバンドで、クイーンのうまい演奏と万人受けするロックとは正反対で汚い格好に汚い声、汚いサウンドでロックして、ヤバイこと言いまくるのが彼らの音楽です!
ピストルズのシドはフレディとケンカしたことがあるみたいですよね!だからといってバンド同士が仲悪いわけではないみたいです。
ピストルズのヴォーカルのジョン・ライドンは、聞いただけでわかるパンクな声をしていて、フレディと比べたら、ごめんなさい、圧倒的に歌はフレディのがうまいです。でも心で感じる、主張のある声っていうのはジョンの方だと思います!
ジョン・ライドンはジョニー・ロットンっていうニックネームがあって、ジョンがピストルズに入る時に、
ギターの、スティーヴがジョンの汚い歯を見て、「お前腐ってんぞ!見ろよ!お前の歯!腐ってる!」というのがきっかけでジョニー・ロットン(腐ったジョニー)っていうニックネームになったそうです。
ニックネームの付け方がなんかパンクでウケますよね笑!
ジョンは昔から相当な不良で、ピストルズの元ベース、グレン・マトロックはジョンと初めて会った時に「相当いかれたやつとおもった」て語っています。
ピストルズ時代には相当左寄りな音楽活動をしていたことから、右翼に襲われ、ギターを弾けなくなるほどの怪我を負わされています。
その頃のイギリスはちょうど鉄の女マーガレット・サッチャーがイケイケ時代で、かなり危荒れた時代だったと思います!
今回は、超不良で左翼のパンク青年ジョン・ライドンが色んな経験を通して、変わっていく生涯をご紹介したいと思います。
ポイント①生い立ち
ジョン・ライドンは1956年1月31日にロンドンのフィンズベリー・パークで生まれます。
ジョンはアイルランド系の貧しい家庭に育ち、幼い頃から人種差別を受けていました。
7歳のときには髄膜炎を患い、その影響で記憶の大半を失います。
母親の熱心な教育とリハビリによりなんとか人並みまで追いつくことができるものの、それが原因で周りについていく事ができなかった彼は、小学生の時にいじめにあっています。
その後、中学に入ったジョンは14歳頃、いじめられていた過去から抜け出し、一気に不良となり、型にはめようとする先生に反抗するようになります。15歳の頃には先生とケンカしたことで退学になっています。
その後、ジョンは、親友のシド・ヴィシャスと出会い、ロンドンのマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクファッションの店、SEXに出入りするようになります。
1975年には、マルコムが新しいバンドを作ろうと考えており、その後のピストルズのギター、スティーヴ・ジョーンズと、ベースのグレン・マトロック、ドラムのポール・クックと共に、マルコムがマネージャーをするバンド「SEX PISTOLS」が、結成されます。
マルコムは、店に来ていたぼろぼろなジョンの、斬新な出で立ちを気に入ったらしく、オーディションをして、ジョンをピストルズのヴォーカルに迎え入れます。
マルコムは特にジョンのオレンジ色の髪の毛と、ピンク・フロイドのバンドTシャツにマジックで「I Hate」と書いて着ていたのが気に入ったそうです。
ポイント②ピストルズ時代
1976年にジョンが加入したピストルズはデビューシングル”Anarchy in the U.K.をリリースします。
しかしその後、ベースのグレン・マトロックはビートルズっぽすぎるという理由でピストルズに似合わないとメンバーから嫌われ、その後、彼は自らピストルズを脱退します。
グレンの代わりとしてジョンの紹介で親友のシドが、ベーシストとしてメンバーに加わり、後半の狂ったピストルズ時代が始まります。そもそもこの時、シドはベース弾けません。笑
ピストルズは1977年エリザベス女王の25週年記念の週に”God Save the Queen” をリリース。
全英シングルチャートで2位を獲得します。
しかし”God Save the Queen”は、エリザベス女王を侮辱する曲だということから右翼に目をつけられ、
ジョンは右翼に左の手のひらをナイフで刺されます。その後、後遺症によりジョンはギターを弾けなくなります。
1977年後半には、ピストルズ唯一のアルバム「勝手にしやがれ」をリリースしますが、シドがヘロイン中毒でまともに演奏もできず、結局グレンを読んでレコーディングしたそうです。
このレコーディングの時、シドがラリってて使いものにならず、レコーディングが進まないので、メンバーはシドがスタジオに来ないことを願っていたそうです。
その後はメンバー同士の仲の悪さが最悪の状態となり、1978年1月14日、アメリカツアー中のサンフランシスコのライブの最後に、ジョンは「騙された気分はどうだい」といって、ピストルズを突然脱退します。
その年の11月、親友だったシドはヘロイン中毒で亡くなります。
ジョンは後に、「あの頃は、自分のことでいっぱいいっぱいで、誰もあいつを救ってやれなかった」と涙したそうです。
ポイント③脱退後
脱退後のジョンはパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)というバンドを結成し、1992年まで活動していました。
1993年には、初の自伝『Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs』を発表しており、
1996年にはピストルズを再結成しワールドツアーもしています。
ジョンは右翼に狙われていたからか、1980年台よりロサンゼルスに住んでいて、2013年にはアメリカの市民権を獲得しています。
2000年台からはテレビに出るようになり、昆虫のテーマのTVシリーズに出演したり、あの尖っていたジョンが動物と面白いことするので、コメディアンとして世間に浸透しています。
感想
いかがでしたでしょうか?
ジョンはピストルズのヴォーカルとして、強いものに噛み付いていくパンクの精神を広めました。
それはやはり生半可な覚悟ではできないことですよね。
今の日本でこんなことしたら終わりですよね。
更にいじめられた過去や、親友のシドをなくしたり、右翼に狙われたりと、いろんな出来事が、尖りまくってた彼を変化させています。
最後は段々と丸くなっていって、落ち着いていく彼の人生は、とても人間味があっておもしろいですよね。
最近はバターのCMに出たりしていて、なんかおちゃめなおっさんになっちゃいましたね。それもまたジョンの魅力ですかね!
やっぱり若い頃って何でも、噛み付いたりとかありますよね!皆さんはどうでしょうか?パンク好きなリスナーさんなら悪い伝説いっぱい持ってそうですね!
当時、問題になった”God Save the Queen” のリンクを張っておくので気になった方は聞いてみてください!
今回は伝説のパンクロッカー、ジョンライドンでした!
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